Vol.10 【曖昧なことは曖昧に・・・】
一般社団法人がん哲学外来(通称「がん哲学外来」)は、がん教育の学びを哲学で考える「哲学で考えるがん教育カフェ」を毎月開催しています。カフェは既に各地でがん教育に携わる方々にご参加いただき、参加者と共に話し合う場で、がん教育の重要性が問われる中、外部講師を育てサポートすることを目的としています。
2025年3月開催のがん教育カフェは次の通りでした。
〇2025年3月15日(土) 16時~17時(WEB開催)
講師: 大野美鈴さん(フリーランス看護師)
講座: 「がんで考える死生観」
寒暖差の激しい日がつづく3月ですが、新生活に向けて準備する方が少なくないことでしょう。物価高の影響で不動産物件や引っ越し料金の値上がりが顕著だとききます。そんな中、不要なモノを<捨てる>のではなく<活用する>ための買取システムが活況を呈しているようです。
2025年3月度のがん教育カフェは(3/15)に開催されました。この日の講演者は、名古屋で生まれ育ったベテラン看護師(現在はフリーランス看護師)の大野美鈴さんで、「がんで考える死生観」というテーマで話されました。大野さんは「街かど保健室」主宰者でもあります。
※街かど保健室 https://machikadohokenshitsu.jimdofree.com/
がん治療は時間もお金もかかりますが、心臓や脳系の病気と違い突然死することはほとんどない病気であることから、多くの医師たちが「がんは死に支度ができる病気」と口にしています。闘病は楽しいものではありませんが、時間的に余裕があるとこれまでのことやこれからのことに対応することができますから、その意味では悪くないといえるのではないでしょうか。そういう背景から「がん哲学外来」の存在をしりカフェに足を運ぶ人は多いことでしょう。
この日、大野さんはがん患者が多数いた大事な家族が、がんに罹患し、どう生きどのように死んでいったかについて話してくれました。印象に残ったのは、家族の中で最初にがんに罹患した方が現在ご存命ということでした。
がん哲学外来では、カフェにやってくる方々に、「がんになっても、がんで死ぬとは限らない」ということを繰り返し話します。何歳で、どんな風に逝くのか?……わかる人は誰もいません。人は「病気」ではなく「寿命」で死ぬのなら、曖昧なことは曖昧にして、くよくよ考えすぎないことが賢明だと思います。
人の数だけドラマがあり、生き方も逝き方もそれぞれ、それが正しいか正しくないか決められるものではありません。違いはあっても、誰もが、いい人生だったと思いながら旅立つことを希望されていることでしょう。
死生観について想う時間は、人生に深みを与えてくれることでしょう。