一般社団法人がん哲学外来

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21世紀のがん哲学 樋野興夫
〜すこしの時間ご一緒しませんか?
ちょっと立ちどまり、一息つき、考えるときを持ち、歴史人に思いをはせる~

第77回  人知を超えて、時が進んでいる 〜 冗談を本気で実現する 〜

『がん哲学外来』に面談に来られた方から、『樋野先生に お目に掛かること叶いとても嬉しかったです。 本当に 本当に有難うございました。―― お会いすることも もう無いかも知れませんが、樋野先生への感謝とご尊敬は忘れません。』との心温まる励ましのお葉書が届いた。 大いに感動した。

2025年7月1日センター長を務める『新渡戸稲造(1862−1933)記念センター in 新渡戸記念中野総合病院』に赴いた。2003年に初版『われ21世紀の新渡戸とならん』、2018年に新訂版、2019年4月には 英語版『I Want to Be the 21 st Century Inazo Nitobe』が発行されることになった。 タイミング的に『新渡戸稲造 記念センター長就任』となった。 人知を超えて、時が進んでいるこを痛感する。

712年に編纂された『古事記』に登場する、医療の原点を教えてくれる大国主命の出雲大社から、8キロほど、峠を越えて美しい日本海に面した小さな村が、筆者の生まれ育った島根県簸川郡大社町鵜峠(うど)である。 隣の鷺浦(さぎうら)と合わせて、鵜(う)鷺(さぎ)と呼ばれている。 713年に編纂が命じられたという『出雲国風土記』にも登場する歴史ある地である。 今は廃校となった鵜鷺小学校(鵜峠と鷺浦の中間に位置する)の卒業式で、来賓が言った言葉が『ボーイズ・ビー・アンビシャス』(boys be ambitious)である。 札幌農学校を率いたウィリアム・クラーク(1826-1886)が、その地を去るに臨んで、馬上から学生に向かって叫んだと伝えられている言葉である。 クラーク精神が新渡戸稲造、内村鑑三(1861-1930)で、筆者の原点である。 そして19歳の時から、尊敬する人物を学んできた。 その人物とは、南原繁(1889-1974)と矢内原忠雄(1893-1961)である。 筆者は、現在『南原繁研究会』の第3代目の代表を仰せつかっている。『新渡戸稲造のNHK大河ドラマ』の製作は歴史的要請であろう! まさに、『冗談を本気で実現する胆力の試金石』である。

第76回 『心にスゥーと入ってきて いつも心が軽くなります』 〜 『言葉の処方箋』 〜

2025年6月28日は、多摩センター駅に向かう。『がん哲学外来 オリーブ多摩カフェ』(主宰:オリーブ多摩カフェ 猪貝幸恵氏) (多摩ニュータウンキリスト教会に於いて)の講演会に赴く(添付)。

【順天堂大学名誉教授の樋野興夫(ひのおきお)先生が、患者さんと医療現場の隙間を埋めるために始めた交流・対話の場『がん哲学外来』。 がん当事者やご家族、ご友人、関心を持つ方々が、悩みを自由に語り合い聴き合い、『解決できなくても解消できる』場となることを願っています。 興味のある方はどなたでもご参加ください。 第1回目の6/28は、樋野先生の特別講演会も行います。】との心温まる紹介がされていた。 ただただ感服する。

筆者は、講演会では、何時も【『犬の十戒』と 宝塚音楽学校の舞台裏に貼られている有名な『ブスの25箇条』】を紹介する(添付)。【がん患者が自分の学びでもあるが 子供に見せたくて トイレに貼っています。】とのメセージを頂いたものである。 大いに感動した。

【樋野先生のご講演は 何度も参加させて頂いておりますが、その度に 『チャウチャウ犬の風貌』、『ブスの25箇条』等を再確認して 心が穏やかになれるし、どの言葉も 心にスゥーと入ってきて いつも心が軽くなります。 又ご講演を聴く機会を いつも頂けることに感謝しています。 深刻に物事を考えないようにすることは難しいですが、簡単なことですが お話を聞くと 実践できそうなきがします。 ダイアローグを 大切にしようと思いました。】&【冗談を交えながら、いろいろなつながりや 関わりから 興味深く講演いただきました。 これからの人生に役立てたいと思います。 ありがとうございました。】などなど、励ましの多数の言葉を頂く。 まさに、『言葉の処方箋』である。

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