第29回 『隙間』を埋める活動 〜 『頑丈な器』 〜
2024年11月5日千葉県柏市での講演【第37回がん哲学外来 豊四季カフェ『そらとり』3周年記念の会 〜 樋野興夫先生を囲んで 〜】(主催者:小林由紀恵氏)に赴いた(添付)。
【2008年1月にがん哲学外来を開設されました。 がんで不安を抱える患者と家族に、無料の面談を行っておられます。 そこでは、医師と患者の立場を超えた 対話を通し、寄り添うとはどういうことであるかを、身をもって 私たちに示して下さっています。この『そらとりカフェ』も、先生との面談から生まれたカフェの一つです。多忙で余裕のない医療現場に取り残された患者の思いを救い上げ、医療現場と患者の間にある『隙間』を埋める活動を続けていらっしゃいます。】と紹介されていた。 多数の質問が寄せられた (下記)。
【病理学としてのがん細胞について】
1)がん医療の進歩は目覚ましく、受けられる治療も大きく変化していると思います。私は20年以上前に乳がんに罹患し、当時は全摘術が主流でしたが、温存も可能ですとの説明に温存術を選びました。 術後に細胞を調べたこところ、担当医の先生から、顔付きの悪いがんなので、抗がん剤治療 と 放射線をやりましょうと診断されました。樋野先生からご覧になって、『顔つきの良いがん と 悪いがんの違い』はどんなものか ご説明頂けますか。
2)手術の際に、取り切れるがん細胞 と 取り切れないがん細胞があると聞きました。それは、罹患部位や手術を受ける人自身の体力、患部を切除した後での残された臓器の機能等によって変わるのでしょうか。
【がんと共存するということについて】
3)3年前に膵臓がんの手術をしました。 現在も3ヶ月おきに病院で検診を受けています。 その度に がんの転移の不安があります。もし転移したら今までの様に動けなくなるかもしれないという不安があり、検診の1週間前になると、『何かやらなければ』&『休んでいてはいけない』という気持ちになります。 この様な気持ちに どう向き合えば良いか 教えて頂きたいと思います。
4)樋野先生の書籍『病気は人生の夏休み』の中の、『30分の沈黙に耐えられる、人間関係を作る』という言葉は メディカルカフェの目標です。 先生は色々な方々と面談をされ、ご苦労もおありだと思います。『30分の沈黙に耐えられる人間関係を作る』ための秘訣を教えて頂きたいです。
5)樋野先生は全国のカフェに講演に行かれますが、その中で長く続いているカフェについて、共通している点はありますか。『空っぽで頑丈な器』を用意すれば良いと言われますが、もう少し具体的なコツのようなものがあれば教えて下さい。
【言葉の処方箋について】
6)人生から期待される生き方とは、どんな生き方ですか。
大変有意義な充実した貴重な記念会となった。
第28回 『人生の眼』 〜 『広い視野 と 認識』 〜
2024年10月29日 国立ハンセン病療養所長島愛生園(岡山県)での『長島愛生園の医師であった神谷美恵子(1914-1979)記念がん哲学カフェ;愛カフェ』12周年に赴いた。 神谷美恵子は、前田多門(1884-1962)の娘で、前田多門は、内村鑑三(1861-1930)の主宰する「柏会」に属していた。 新渡戸稲造(1862-1933)は、神谷美恵子の両親の仲人でもあった。【『新渡戸稲造が『幼い 神谷美恵子』を膝に抱いてあやしている姿】が 今回、鮮明に蘇って来た。『新渡戸稲造・内村鑑三―>前田多門―>神谷美恵子』の流れである。
今回、東京から『神谷美恵子記念 がん哲学カフェ』に参加された方から『桃太郎』の像が送られて来た(添付)。『鬼ケ島遠征の物語』は、私は、子供時代、村のお寺の紙芝居でよく聞かされたものである。【桃太郎の器量と胆力:『桃太郎』が『犬・雉・猿』という性質の違った(世にいう犬猿の仲)伴をまとめあげたことを挙げ、世に処する人は『性質の異なった者を容れるだけの雅量』をもたなければならない と 新渡戸稲造は『世渡りの道』(1912年)で述べている。 とかく、競争の名の下に、実は個人感情で排斥をする自称リーダーヘの警鐘でもある。 ーー 激しく移り変わる混沌とした世界の中で『広い視野』と『確固とした現実認識』と『深遠な歴史意識』をもち、『なすべきことをなしたい』ものである。】《『われ21世紀の新渡戸とならん』(添付)》
ヘレン・アダムス・ケラー(Helen Adams Keller、1880-1968)は、3重苦(聴力、視力、言葉を失う)を背負いながらも、世界各地を歴訪し教育・福祉に尽くした。『ヘレン・ケラーは、2歳の時に高熱にかかり、聴力、視力、言葉を失い、話すことさえ出来なくなった。 両親から躾けを受けることの出来ない状態となり、家庭教師として派遣されてきたのが、当時20歳のアン・サリヴァン(1866 -1936)であった。
ヘレン・ケラーとサリヴァンの半生は『The Miracle Worker』(日本語『奇跡の人』)として映画化されている。 【英語の『「The Miracle Worker」には(何かに対して働きかけて奇跡を起こす人)といった意味があり、本来はサリヴァンのことを指す』とのことである。 ヘレン・ケラーが『人生の眼』を開かれたのは『いのちの言葉』との出会いである。 学びは、『I am only one, but still I am one. I cannot do everything, but still I can do something; And because I cannot do everything I will not refuse to do the something that I can do.『私は一人の人間に過ぎないが、一人の人間ではある。何もかもできるわけではないが、何かはできる。だから、何もかもはできなくても、できることをできないと拒みはしない』(ヘレン・ケラー)であった。】 まさに、自分の『役割と使命』の遂行である。
新渡戸稲造の下記の言葉の復学の日々である。
1) 間断なき努力は進歩の要件
2) 自分の力が人に役に立つと思うときは進んでやれ
3) 心がけにより 逆境も 順境とされる