ことばの処方箋 これまでの“ことばの処方箋”
本心を打ち明ける友人をもたない人々は、 自分自身の心を食べる食人種である。 イギリスの哲学者・神学者・法学者・政治家のフランシス・ベーコンの言葉。 人間は独りでは生きていけない生き物。 それだけに心をさらけ出して本音でつきあえる友人をもつことが大事。 そういう得難い友人をたくさん持つことで、人生は実り豊かなものになる。 ロバに蹴られても怒らない ロバは愚鈍の象徴として捉えられている動物だが、聖書ではキリストが乗ったことから賢なる動物ともされる。 他者に何をされても怒らない態度。 宮澤賢治の「雨ニモマケズ」のモデルになったと言われている斎藤宗次郎の生き方、 「慾ハナク、決シテ瞋ラズ、イツモシヅカニワラッテヰル」に学ぶ。 斎藤宗次郎は内村鑑三の弟子。 砕けたる心、小児のごとき心、有のままの心 「基督信徒のなぐさめ」(内村鑑三著)第六章に書かれている言葉。 内村鑑三が人生のなかで経験したつらく苦しい状況のなかで、キリスト者として得たなぐさめについて書かれている。 神は見返りとしてささげものを要求されることはないが、困難な状況にある人は「汝の心をささげよ」と書かれている。
困難な状況にある人は、つらく苦しいそのままの心でいてよい。 メディカルカフェなどで寄り添う人が必ずいる。 無頓着に大胆になる 無頓着とは、仏教用語で欲望のままにものごとに執着するという意味の「貪着」を否定した言葉。 ものごとを深く気にかけないこと。大胆とは、ものを恐れない度胸があること。 普通と違った思い切ったことをするさま。 人生において、今までと同じでは立ち行かなくなったとき、思い切って執着を手放す。 パラダイム・シフト。考え・ものごと・人間関係などを断捨離するととらえてもよいかも。 人の話を聞く耳を持つことは大事です。 もし身の上相談を受けたら、一生懸命聞いてあげればいいのです。 答えはいりません。ただ聞いてあげればいいのです。 作家で僧侶の故・瀬戸内寂聴の言葉。 瀬戸内寂聴は、「瀬戸内晴美」という流行作家であったが、 私生活でも常に話題になった革新的な生き方を貫いた女性として有名。 人気絶頂の時に出家し、作家と宗教家の二足のわらじで人生をかけぬけた。 その時々で発信した言葉は、人生につまずいた女性たちの心をとらえ支持された。 がん哲学外来で重要視される「傾聴」の必要性を説いている。 【心の運河】抑圧された感情は肉体的な病気となってあらわれてきます。 つねに悪い感情を流す心の運河を意識しなさい。 自分の好ましくない感情が、 その運河にのって流されていく姿を思い浮かべなさい。 精神法則に関する世界的権威者で教育者・講演者の故ジョセフ・マーフィー博士は潜在意識の活用で有名。 「あなたを成功へ導く568のことば マーフィー名言集」より転載。 人はみな、気が付かない抑圧された感情をもっているものです。 その感情から目をそらさず、自分の心に語りかける必要があります。 苦しみは人間を強くするか、それとも打ち砕くかである。 その人が自分のうちにもっている資質に応じて、 どちらかになる。 スイスの法学者・哲学者・政治家・文筆家で、「幸福論」の著者であるカール・ヒルティの言葉。 人間は、不運や不幸を乗り越えることで生きる力をつけ成長していくものだが、不幸に負けてしまう人間も存在する。 それは、生まれてきた者が生来もっている根源的な性質によるものである。 人間のすべての性質のなかで、嫉妬はもっともみにくいもの、 虚栄心はもっとも危険なものである。 心の中のこの二匹の蛇から逃れることは、 すばらしくこころよいものである。 スイスの法学者・哲学者・政治家・文筆家で、「幸福論」の著者であるカール・ヒルティの言葉。 人が生きていく上で嫉妬心や虚栄心に苛まれることの虚しさや愚かさをストレートに表現したもの。 誰にでもおこりえる負の感情だけに、指針にしたい言葉。 自分の好きなことをしたら、自分の選んだことだから、 責任を持たなきゃいけない。泣き言を言っちゃいけない。 作家で僧侶の故・瀬戸内寂聴の言葉。 自由な選択には、必ず、男女とわず責任がついてくるという意味。 瀬戸内寂聴は、「瀬戸内晴美」という流行作家であったが、 私生活でも常に話題になった革新的な生き方を貫いた女性として有名。 人気絶頂の時に出家し、作家と宗教家の二足のわらじで人生をかけぬけた。 その時々で発信した言葉は、人生につまずいた女性たちの心をとらえ支持された。 自由奔放ともいえる生き方をしただけに、発信した言葉は重みをもつ。 自己に頼るべし、他人に頼るべからず 日本のキリスト教思想家・文学者・伝道者・聖書学者であった内村鑑三が残した「成功の秘訣」の名言。 他人に頼ってばかりの生き方は他人の顔色ばかりうかがいながら生きることなので、よくない。 他人をあてにせず自分の力で道を切り開くことこそ意義がある。 不連続の連続の成長 「人の成長は階段を昇るごとし」「がんの成長は階段を昇るごとし」 「癌細胞に起こることは人間社会にも起こる」吉田富三 日々の成長以外に、何かにハッと気づくことで一段階段を昇ったような気もちになることがある。 サマリアの女 聖書の「サマリアの女」になぞらえて、 「顔立ちは変えられないが、顔つきは一夜にして変えられる」 ロバに蹴られても怒らない ロバは愚鈍の象徴として捉えられている動物だが、聖書ではキリストが乗ったことから賢なる動物ともされる。 他者に何をされても怒らない態度。宮澤賢治の「雨ニモマケズ」のモデルになったと言われている。 斎藤宗次郎の生き方、「慾ハナク、決シテ瞋ラズ、イツモシヅカニワラッテヰル」に学ぶ。 斎藤宗次郎は内村鑑三の弟子。 「悲しい時は私たちのところへいらっしゃい、 いっしょに泣きましょう。・・・」 勝海舟の妻・勝民子の言葉。勝海舟は幕末の動乱期に多大な功績を残したが、そのエネルギーは私生活でも相当なもので、 本妻の民子の他に妾を数人もち、彼女たちにうませた子どもも数人いた。 妻の民子は文句もいわず分け隔てなく面倒をみたといわれている。 勝海舟と長崎の女性との間にできた息子・梅太郎と結婚したアメリカ人女性がクララ・ホイットニーといい、 この女性は日本での生活を日記風にまとめており、「勝海舟の嫁 クララの明治日記」というタイトルで中公文庫から出ている。 この書物の中に、クララが母国にいる母親を亡くし悲嘆にくれている時、民子がクララに対して優しく言葉をかけたとある。 がん哲学外来が重んじている寄り添い方の基本といえる。 種を蒔く人になりなさい 困難な事柄だからといって諦めないで、解決するための行動を起こす(=種をまく)ことで、 たとえそれが生きているうちに達成できなくても、誰かのためになり大きな成果となることがある。 この世に無駄なことなどひとつもない。 解決はしなくても解消はできる。 「がん哲学外来」創始者の樋野興夫氏が、「コロナを生きる言葉集」の中で発信した言葉。 いつもついつい考えてしまう悩み事はなくなるものではないが、その優先順位を下げて問わなくなることによって、 それまで自分を不安にさせていた悩みは解消するという考え方。 「3本の木」 作者不詳の民話が「3本の木」(いのちのことば社)から絵本化され、読み継がれているお話し。 遥か昔、ある山の頂に3本の木が育っていた。 木々たちはそれぞれ大きく育ったら何になりたいか夢をもっていた。 やがて、すくすくと成長した木々たちは切り倒され、人間の思いのままに使われていった。 それは、木々たちが夢見たものとは違っていた……。 しかし、時がたち、夢をかなえることができなかった三本の木は、 思い描いていた夢とは違うものの納得のいく使われ方をしたのだった。 つまり、夢がかなわなかったといって悲嘆するのではなく、 悲しみの中でも新しい自分を見出し自分を大切にして生きていくことの大事さを説いている。 深い川は静かに流れる。 深い川の流れは浅い川のように水音をたてないことから、 分別のある思慮深い人は、悠然と構えていてやたらに騒いだりしないという意味。 がんなどの病気になった時の心構えとして参考になる。 世間の風霜に打たれ、人生の酸味を嘗め、世態の妙を穿ち、人情の微を究めて、 しかる後、共に経世の要務を談ずることが出来るのだ(勝海舟) 勝海舟の言葉。世の中にはいろいろな試練がある。 その中で様々なことを知り、人とつながり、研鑚を積んでゆく。 人様のための仕事をするには、これらの日々の鍛錬が必要なのかもしれない 馬から下りて花を見る 〈Get off the horse and look at the flowers.〉 かつて侍たちは村を通る際、馬の上から村民を見下ろしていた。 力のあるものが、力の無いものを支配する。 それは今の世の中でも常時どこでもおきていて、 これを読むあなたの行動もそう見えることもあるかもしれない。 そこに気づき、相手と話すときに相手と同じ視点、 同じ視野でものを見直してみよう。 世の中は大きく変わって見えるようになるのではないか。 苦しみが品性を磨く 〈Suffering helps shape a character.〉 病にかかること、生活の上で辛酸をなめること、悔しいこと、たくさんのことが人生におきてくる。 そのときはとても苦しいものであるが、そのことを真摯に受け止め、生きてゆくことで、 人間らしさや品性が磨かれてゆくものではないだろうか。 人生にはもしかすると、このときのためと思えることがある 〈Maybe it was all meant for today.〉 人生の邂逅ともいえる瞬間がどの人にも訪れてくる。 その瞬間はいつなのかわからない。 一つとて、日々の努力や生活に無駄はないということではないか。 1日1日、一期一会を大切に。 どちらの道をとるか、きめなければならないのは私たちなのだ。 レイチェル・カーソンの「沈黙の春」の一部。 訳者の青樹簗一氏は南原繁の息子、南原実氏。 私たちは「人生のなかで常に何かを選択して 生きていかなくてはならない」というあり方を述べている。 日本肝臓論 肝臓という臓器の特徴は、人間のあり方に置き換えることができる。 「人体で起こっていることは社会と連動している」という吉田富三の言葉と関連付けることができる。 冷たい専門性より温かいアマチュア精神が効果的なこともある。 冷たくても専門性は必要。 足らない部分を温かいアマチュア精神≒メディカルカフェで補う。 医療の隙間を埋めるということである。 新渡戸稲造は「センモンセンスよりもコモンセンス」と言っている。 センモンセンスは専門家のみであるが、コモンセンスは誰でも磨くことができる。 死魚は流れのままに流されるが、活魚は流れに逆らって泳ぐ。 札幌農学校で水産学が専門であった内村鑑三の言葉。 流れのままに流されるのは簡単だが、思いをもって生きているのであれば、 敢えて流れに逆らって生きる生き方もある。 縦の関係と横の関係 「人生には縦の関係と横の関係があり、この二種類の関係を大切にしなければならない」 という新渡戸稲造の言葉。 縦は天(神)とのつながり、横は人と人、社会とのつながりをあらわす。 人生は開いた扇の要の如く 「すべて小さく始まって着実に広がっていく」「出発点では小さくてたえず大きくなっている」 という人生を扇に喩えた新渡戸稲造の言葉と、 多段階発がんの「起始→過程→大成」を同様のものととらえた 吉田富三の「癌細胞に起こることは人間社会にも必ず起こる。 つまり人体の中で起こっていることは社会と連動している」を想起させる。 要の部分は人間社会では出会いを意味する。 一番大切なものは目に見えない サン=テグジュペリの「星の王子さま」より。 「星の王子さま」は大切なものを探し求めるが、 大切なものは目に見えないし、人によって違うことに気づく。 ある種、究極の場面ともいえる死に対しても 「死ぬことになったとしても、友だちがいたというのはいいことだよ」 という気づきを得る。 気にすることなく、やり遂げなさい マザー・テレサの『あなたの中の最良のものを』の一部分。 いついかなるときでも、自分の中の最良のものを与え続ける努力をしなさいという意味。 マザー・テレサの言葉には「相手のニーズに添う」という部分はないが、自分の思いでやっていたとしても、 それが神から与えられたものであるならば、相手のためになっているのかも。 そのほか関連情報