一般社団法人がん哲学外来

ことばの処方箋

これまでの“ことばの処方箋”

冷たい専門性より温かいアマチュア精神が効果的なこともある。
冷たくても専門性は必要。
足らない部分を温かいアマチュア精神≒メディカルカフェで補う。
医療の隙間を埋めるということである。
新渡戸稲造は「センモンセンスよりもコモンセンス」と言っている。
センモンセンスは専門家のみであるが、コモンセンスは誰でも磨くことができる。
死魚は流れのままに流されるが、活魚は流れに逆らって泳ぐ。
札幌農学校で水産学が専門であった内村鑑三の言葉。
流れのままに流されるのは簡単だが、思いをもって生きているのであれば、
敢えて流れに逆らって生きる生き方もある。
縦の関係と横の関係
「人生には縦の関係と横の関係があり、この二種類の関係を大切にしなければならない」
という新渡戸稲造の言葉。
縦は天(神)とのつながり、横は人と人、社会とのつながりをあらわす。
人生は開いた扇の要の如く
「すべて小さく始まって着実に広がっていく」「出発点では小さくてたえず大きくなっている」
という人生を扇に喩えた新渡戸稲造の言葉と、
多段階発がんの「起始→過程→大成」を同様のものととらえた
吉田富三の「癌細胞に起こることは人間社会にも必ず起こる。
つまり人体の中で起こっていることは社会と連動している」を想起させる。
要の部分は人間社会では出会いを意味する。
一番大切なものは目に見えない
サン=テグジュペリの「星の王子さま」より。
「星の王子さま」は大切なものを探し求めるが、
大切なものは目に見えないし、人によって違うことに気づく。
ある種、究極の場面ともいえる死に対しても
「死ぬことになったとしても、友だちがいたというのはいいことだよ」
という気づきを得る。
気にすることなく、やり遂げなさい
マザー・テレサの『あなたの中の最良のものを』の一部分。
いついかなるときでも、自分の中の最良のものを与え続ける努力をしなさいという意味。
マザー・テレサの言葉には「相手のニーズに添う」という部分はないが、自分の思いでやっていたとしても、
それが神から与えられたものであるならば、相手のためになっているのかも。
曖昧なことは曖昧に考える
はっきりさせることばかりがよいのではない。
答えは無理に出さなくてもよいが、考えることはしたほうがよい。
心理学的な言葉では「ネガティブ・ケイパビリティ」にあたる。
がん哲学的には「考えるのは1日1時間」でよい。
病気であっても病人でない
患者さんに対しては病気に縛られないでというメッセージ。
ケアギバーに対しては、「患者さんにはこういうつらさがあるに違いない」
という思い込みをもって、つまり患者さんを病人に仕立ててしまわずに、
その人自身と向き合いましょうというメッセージ。
生き方がハンサム
同志社を設立した新島襄が、当時婚約者であった八重を紹介するときに使った言葉
「八重はハンサムではないが、彼女の生き方がハンサムだ」。
容姿が美しいことよりも、生き方が自律していてカッコイイ人を目標とする。
空っぽの器
出典は聖書に出てくる「土の器」と思われる。
「土の器」は身体を表し、材料が同じであっても、焼き方によって、いろいろの器ができる。
転じて、同じ人間の身体であっても、健康であることも病を得ることもある。
どんな器であっても、中身として宝を入れている。
どんな人も大切な一個人である喩え。
どんな器であっても、慈愛によって包み込まれる。
どんな人をも包み込む器がメディカルカフェであるという喩え。
われ21世紀の新渡戸とならん
がん哲学の提唱者である樋野興夫先生の「われ21世紀の新渡戸とならん」は、
新渡戸稲造の言葉である「我、太平洋の橋とならん」をもじったものと思っていたが、
新渡戸の生き方を学ぶと、樋野先生は新渡戸をロールモデルにされていると感じる。
ロールモデルをみつけることで自身の成長を促せる。
己れを棄つる
世のため人のためにさまざまな活動をしてきた新渡戸稲造の遺言と言われている文
「衆の為めに努むるを生命といふなり。死とは何事をもせざるの意なり。
己れを棄つるは是れ生命の始なり。」
ここに新渡戸稲造の生き方が表現されている。
新渡戸稲造の言葉。
武士道の徳目は、「義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義」はがん哲学の徳目としても捉えることができる。
「義」は正義(正論)、「勇」は勇気、「仁」は思いやり、「礼」は実際に行動として起こす、
「誠」は誠実、「名誉」はいのちより大切なもの、「忠義」は何のために生きるのか
というように置き換えてみると、どれも時代を超えて、大切なことである。
冷たい親族より温かい他人
内村鑑三は家庭環境に恵まれなかった。
きょうだいや夫婦仲はうまくいかなかったが、内村はキリスト者の集まりの中に温かい他人を見出した。
しかし、そんな内村も、3番目の妻と結婚したときに、家庭が安らげるものだと気づいた。
「ホーム」が安らげるところでなくても、「ホーム」の外に居場所はあるものである。
モー往きます
内村ルツ子(内村鑑三の娘)の最期の言葉。
ルツ子は原因不明の病で17歳で亡くなった。
内村は「往きます」に「大往生」の「往」を使った。
これにより、娘の死が大往生であったと思った、
または思いたかった内村の思いが詰まった言葉となった。
ハッピーではなく、ジョイフルを求めましょう。
ジョイフルは内面から湧き上がってくる「歓び」。
ハッピーを追い求めても、虚しさが残ることもある。
ジョイフルは人から与えられるものではなく、自分で気づくものだが、
ジョイフルに気づいた人は、些細なことにもハッピーを感じられる。
右の手をもって施した慈悲を左の手に知らしむるなかれ
キリストの言葉。意味は「陰徳」。
誰に知られるともなく、困っている人に手を差し伸べること。
新渡戸稲造はこれを実践していた。
新渡戸稲造は困っている人、弱い人、女性に心を寄せ、援助していた。
散る桜 残る桜も 散る桜
良寛和尚の言葉。
誰でもいつかは亡くなる。限られた「いのち」である。
そのことを受け容れ、今を大事に生きましょう。
構造異型に立ち向かう度量
「構造異型」はこの場合がんを指すが、吉田富三は「がんに起こることは人間社会にも起こる」と言っている。
吉田富三はがんを「ヤクザ」に喩え、「ヤクザは面白い、悪性には違いないが乱暴に取り除くと
又別の副作用が生じる。結局は共存しなくてはならない」と言っている。
目下の急務はただ忍耐あるのみ
ウサギの耳に1年近くコールタールを塗擦し続けて、人工発がんさせた山極勝三郎の言葉。
山極はノーベル賞の候補にあがるが、受賞できなかった。
山極がどんなシチュエーションで言ったのか。
「我慢」と「忍耐」はどう違うのか。「我慢」は煩悩の一つ、「忍耐」は徳の一つ。
今直ちにすべきことは徳を積むこと。
がん哲学
樋野興夫先生は、吉田富三の「がん学」と南原繁の「(政治)哲学」をドッキングさせて「がん哲学」という言葉を造られた。
自然災害に心を痛めた内村鑑三は「自然科学的現象に意味を探る宗教的説明も成り立つとし、
そのほうが人生をより深くする」と言っており、どうしようもないことに対して、科学的考察だけでなく、
哲学的説明(生きる意味を探る)も成り立つという考えが「がん哲学」の源流ではないか。
小さなことに大きな愛を込める
「私たちは、大きいことはできません。
小さなことを大きな愛をもって行うだけです」というマザー・テレサの言葉。
大切なことは、いくら与えたかではなく、与えることにどれだけの愛を注いだか。
思っているだけでなく、小さなことでもいいから、心をこめて何かアクションを起こしてみましょう。
人生から期待される生き方
出典は「人生のほうはまだ、あなたに対する期待を捨てていないはずだ」
というアインシュタインの言葉。
あきらめたのはあなたのほうではないですかという問いかけ。
「To do」の前の「To be」
「『何かをなす』前に『何かである』ということを考えよ」という新渡戸稲造の言葉を南原繁が引用したもの。
がん哲学外来的には、「何かをしてあげよう」とするのではなく、「そばにいる」という態度が大切ある。
「なにノミやシラミだと思えばいいのさ。・・・」
「ほっとけ、気にするな」と類義の言葉。
勝海舟「人に斬られても、こちらは斬らぬという覚悟」 
これは「負けるが勝ち」という勝海舟の父、勝小吉の言葉にそうものと思われる。
この精神こそが武士道であるとしたのは新渡戸稲造。
「桃太郎」の現代的意義
犬猿の仲のものが一つの目標に向かって一緒に進んだ。
これは2つの焦点をもつ「楕円形の心」である。
新渡戸稲造によると、性質の異なったものを
「最高の運命共同体」に育て上げたのが「桃太郎の器量」である。
人生いばらの道、されど宴会
出典は聖書。苦しんでいる人、つらい人、悩んでいる人はついついネガティブ思考に陥ってしまう。
そういうときでも心の持ち方次第で、心が少し軽くなることもあるかも。
ただ、渦中にある人はなかなかそうは思えないし、楽しい思い出を持ちあわせているとも限らない。
支援者は30mの距離をもって、ずっと寄り添い続けることが必要。
「私たちの齢は70年。健やかであっても80年。」
聖書によると、一番初めに創られた人であるアダムは930歳であったが、
神様が人間の寿命を短く設定することにしたとされる。モーセは120歳生きた。
崇神天皇は120歳まで生きたと日本書紀に記されている。
現代(2022年4月)の世界最高齢は118歳である。
さまざまな原因で寿命まで生きられないことがあり、がんもその原因の一つである。
がんは遺伝子の変化で起こる。加齢だけでも遺伝子の変化の可能性はあり、
つまり、生きることががん化への道となる。
それをどう受けとめるか。「ニーバーの祈り」のなかにそのヒントが書かれている。
一人の人間を癒す為には、一つの村が必要である。
「田舎が廃れて農業が廃れてしまうと人格を形成することができない」
という新渡戸稲造の持論によるものと思われる。
遠くのことより身近な村のことから知るほうが知識が生きてくるので、
地域のニーズにあった活動(がん哲学外来カフェ)ができ得る。
尺取り虫になって歩む
尺取り虫の運動は、後ろの一点を固定して、前部を動かすので、
オリジナリティーを失わずに自分で生き方を決めることができる。 また尺取り虫が体を屈するのは伸ばそうとしてのことである。
人間も一時的に不遇であってもそれは将来に備えての準備である。
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