第93回 『いい覚悟で生きる』 〜 明確になるのは、人生の良き邂逅 〜
2025年9月21 亀有メディカルカフェの主催者:小暮信子氏より、メールが届いた。【先日9月18日 第19回亀有メディカルカフェを開催いたしました。今回のことばの処方箋は、『天寿がん』でいきましょう(『いい覚悟で生きる』2014年11月3日小学館発行)(添付)でした。— 手紙が寄せられましたのでご報告致します。《『天寿がん』でいきましょう》に寄せて…94歳、最期の日。 それが “9月5日”のことでした。(がん患者 遺族)】 大いに感動した。 涙無くして語れない。
想えば、筆者は、医学部を卒業して、癌研で研究をスタートした。 豊島区の大塚にあった癌研病理部での研修研究員時代、当時の病理部長:北川知行先生と所長:菅野晴夫先生(1925−2016)であった。
北川知行先生(がん研究所名誉所長)は『天寿がん』の創始者でもあり【1968年、98歳の男性の特志解剖を行った(東大では自ら希望して病理解剖が行われる場合を特志解剖と呼んでいた)。 この方は 生来ずっと健康で医者にかかったことがなく、この年まで頭脳明晰で体もよく動いていた。亡くなる3か月前から食が細くなり、次第に衰弱して、本人も家族も”大往生”と喜ぶ中で安らかに亡くなったのである。亡くなる前にこの方は、往診の医師に『自分の体には健康長寿の秘訣が宿っていると思うので、死後、大学に運んで解剖し、それを明らかにして医学の進歩に役立ててほしい』と遺言した。 解剖すると、胃の幽門部と噴門部にそれぞれ10cm大の胃がんがあった。噴門部のがんによる食道出口の狭窄が死因であった。この時、『こんな死に方なら、がんで死ぬのも悪くないな』と強く思った。 この方は、”天寿がん”第1号となり大きく世の中に貢献をしたのであって、常に本名を記してその名誉を讃えている。】と教わったものである。
『何が重要なのかが明確になるのは、人生の良き邂逅である』の復学となった!
第92回 『一筋の光』 〜 『受け継くべきもの』 〜
2025年9月18日 筆者は順天堂大学に寄って、新渡戸稲造記念センター長を仰せつかっている新渡戸記念中野総合病院での倫理委員会に出席した。 皆様の真摯な質疑応答の姿勢には、大変勉強になった。『持続的な向上心の基本』であろう!まさに、『「名誉」とは 境遇から生じるものではなく、自己の役割を まっとうすることにある』(新渡戸稲造1862−1933)の復学である。
その後、Zoom『南原繁研究会(第248回)』に参加した。テーマは、【諸報告 & シンポジウム文献紹介 & シンポジウムパネリストの構想発表】であった。 純度の高い専門性のある発表には、大いに感動した。 筆者は、2004年にスタートした南原繁研究会 【初代代表、鴨下重彦 先生(1934-2011、東京大学名誉教授、国立国際医療センター名誉総長)、第2代代表、加藤 節 先生(成蹊大学名誉教授)】の3代目の代表を、2019年 南原繁(1889-1974)生誕130周年を祝し、仰せつかった。『21世紀の懸け橋/受け継くべきもの』を実感する (添付)。
南原繁は、内村鑑三(1861-1930)と新渡戸稲造から大きな影響を受けた。 南原繁は新渡戸稲造校長時代の一高で学び、影響を受けた。 一高時代、南原繁は『聖書之研究』を読み始め、東大法学部に入学後、内村鑑三の聖書講義に出席するようになった。 『南原繁―>新渡戸稲造―>内村鑑三』である。 筆者は、南原繁が東大総長時代の法学部と医学部の学生であった二人の恩師から、南原繁の風貌、人となりを直接うかがうことが出来た。 南原繁は、『高度な専門知識と幅広い教養』を兼ね備え『視野狭窄にならず、複眼の思考を持ち、教養を深め、時代を読む
具眼の士』と、教わったものである。『時代を動かすリーダーの清々しい胆力』としての『人間の知恵と洞察とともに、自由にして勇気ある行動』(南原繁著の『新渡戸稲造先生』より)という文章が思い出される今日この頃である。
複雑な現代社会・混沌の中での『一筋の光』を学習する日々でもある。





