一般社団法人がん哲学外来

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21世紀のがん哲学 樋野興夫
〜すこしの時間ご一緒しませんか?
ちょっと立ちどまり、一息つき、考えるときを持ち、歴史人に思いをはせる~

第21回 『器量の持ち主』〜 『持っている、身につけている、与えられている』 〜

2024年9月16日(月・祝)『2024年度 第7回 21世紀のエステル会シンポジウム』(白鷺教会に於いて)に出席した。 友納靖史牧師(常盤台バプテスト教会)の講演【人の痛みに聴き、寄り添えますように ~ 全人的なケア(スピリチュアルペイン)〜)について】は、大変勉強になった。Hope(希望)、Assistance(協力)、Support(支援)の頭文字=haveの3人称(has)=『持っている、身につけている、与えられている』の学びの日々である。

講演後、対談では【教会でメディカルカフェをやる意味は?・樋野先生の著書を拝読しています。 先生方は、違和感を抱く人々に合ったらどうお話しなさいますか。 これだけは言いたいということがあれば教えてください。】などなどの質問も頂いた。 グループトークの後、筆者は、総括の機会が与えられた。

【『樋野動物園』の『春風のようなゴリラ🦍』(目白がん哲学外来カフェ代表 森尚子氏)】から、『現代的意義』の心温まる、励ましのポスターを頂いた(添付)。【『情熱、熱意、真摯な態度』&『無邪気に、喜んで、小さなことに、大きな愛を込める』&『役割意識と使命感』の実践者】でもある。

また、『器量の持ち主』でもある。『器量』といえば、『挑太郎』を思い出す。 鬼ケ島遠征の物語は、子供時代、村のお寺の紙芝居で よく聞かされたものである。『挑太郎』は『犬・雉・猿』という性質の違った伴を まとめあげたと学んだ。【世に処する人は『性質の異なった者を 容れるだけの雅量』を もたなければならない】と新渡戸稲造(1862-1933)は『世渡りの道』(1912年)で述べている。

『時代を動かすリーダーの清々しい胆力』としての『人間の知恵と洞察とともに、自由にして勇気ある行動』(南原繁(1889-1974)著の『新渡戸稲造先生』より)という文章が思い出される今日この頃である。 一見「理解不能モード」である複雑な現代社会・混沌の中での『一筋の光』を感ずる日々である。


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