一般社団法人がん哲学外来

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21世紀のがん哲学 樋野興夫
〜すこしの時間ご一緒しませんか?
ちょっと立ちどまり、一息つき、考えるときを持ち、歴史人に思いをはせる~

第36回 Medical Village 〜 小さな事に忠実に暮らせる場所 〜

2024年12月7日 筆者は【早稲田大学エクステンションセンター中野校】での講座『ジャンル:人間の探求 〜 講座名:がんと生きる哲学』(テキストは『新渡戸稲造:壁を破る言葉』(三笠書房2023年10月15日発行)から、市村雅昭氏が企画された万座温泉日進館(群馬県)での【2024年メデイカル・ヴィレッジ in 嬬恋村:がん哲学外来カフェin 万座 『樋野先生を囲んで ちょっと早いクリスマス!』】(添付)に赴いた。 嬬恋村の『がん哲学外来カフェ』のスタッフの方も参加されていた。

wifeと参加者の皆様と夕食の時を持った。 東京都、千葉県、埼玉県、神奈川県、長野県からも参加されていた。 夕食中、筆者は杉良太郎の『すきま風』を歌う企画が与えてた(添付)。 また、東京都葛飾区の『がん哲学外来亀有メディカルカフェ』代表 小暮信子氏は、小柳ルミ子の『瀬戸の花嫁』、さらに、皆様の熱唱には大いに心が癒され 感動した。 夕食の後、筆者は、ロビーで講演『小さな事に忠実であれ 〜 病気であっても病人ではない 〜』を行った(添付)。 その後、皆様と懇談の時を持った。 大変有意義な充実した時であった。

翌朝(12月8日)朝食後、wifeと雪の積もる万座を散策した(添付)。 10:00amから『がん哲学外来』が開催された。 筆者は 別室で個人面談の時も与えれた。 昼食後、市村雅昭氏の運転で、軽井沢駅に向かった。 軽井沢は快晴であった。 軽井沢駅から帰京した。 本当に忘れ得ぬ貴重な『万座温泉の旅』となった。 今回の『雪の万座の旅』は、本当に『人生の良き想い出』となった。

Wifeと最初に万座温泉に行ったのは、1998年であろう。 2012年 万座温泉日進舘で『がん哲学外来カフェ』が開設された。 筆者の夢は、『Medical Village(居場所作り) in 万座』構想である。 早速、市村雅昭氏から『第10回メディカルヴィレッジ大会(2027年)に向けて実行委員長を探します。』とのメールが届いた。

【『日本Medical Village学会』(下記)設立の目的は、がん患者さんが 最期まで安心して暮らすことが出来る場所(Medical Village)を地域に創ることです。 Medical Villageとは、がん患者さんを癒すことのできる村です。 がん患者さん本人だけでなく、本人に関わる家族や友人や、本人を支援する医療や介護の従事者にとっても 安心できる場所になることを目標にします。】(新渡戸記念中野総合病院のHP)

第1回 日本Medical Village学会(伊仙町) 2018年
第2回 日本Medical Village学会(小諸市) 2019年
第3回 日本Medical Village学会(八女市) 2020年
第4回 日本Medical Village学会(秋田) 2021年
第5回 日本Medical Village学会(八女市) 2022年
第6回 日本Medical Village学会(山梨県) 2023年
第7回 日本Medical Village学会(青森県) 2024年
第8回 日本Medical Village 学会(東京都青梅市) 2025年
第9回 日本Medical Village 学会(滋賀県) 2026年

第35回 『心の燈台』 〜 『考え深げな黙想 と 真摯な魂』 〜

2024年12月1日【『野に咲く花のように』フジテレビ系『裸の大将放浪記』(ダ•カーポ)】を拝聴しました。 夕方は、Wifeと,娘家族、息子家族とのバーベキューに赴いた。【バーニーズ・マウンテン・ドッグ】も参加した (添付)。 【バーニーズ・マウンテン・ドッグ】について、HPでは【バーニーズ・マウンテン・ドッグは、『気はやさしくて力持ち』といわれるように、存在感たっぷりの大型犬ながら、温和な性格です。 飼い主さんの気持ちを察して行動する、よきパートナーになってくれます。 一方で、昔からその賢さや観察力を生かして仕事をしてきたため、人から指示を受けなくても、その場の状況を自分で判断し行動することができる気質をもっています。】と紹介されている。 Wifeは、お菓子を作り持参した。

Wife、娘、息子の奥さん達とは、『カルタ大会』を行った. 2024年6月23日【クリスチャン・アカデミー・イン・ジャパン(Christian Academy in Japan:CAJ)】での『東久留米がん哲学外来・カフェ』(2008年スタート)に、今は亡き『前田こずえ』様が作成されたカルタ集(添付)を、ご主人が持参された。 そして、10月27日には、『カルタ大会』が開催された。 スタッフの皆様の真摯な姿勢には 大いに感動したもである。

2018年1月6日の『上毛カルタ大会』が鮮明に思い出された。【『こ』=心の燈台 内村鑑三(1861-1930)』、『へ』=平和の使徒 新島襄(1843-1890)』】は、若き日から、暗記し親しんだものである。【新島襄は、アメリカのアーモスト大学で、後に札幌農学校教頭となるウイリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark、1826-1886:『少年よ、大志を抱け』1887年札幌農学校のクラーク博士の言葉)から授業を受けた。 新島襄は、クラークにとっては最初の日本人学生であり、この縁でクラークは来日することとなった。 1872年、新島襄は、アメリカ訪問中の岩倉使節団と会う。 新島襄の語学力に目をつけた木戸孝允(1833-1877)は、通訳者として使節団に参加させた。 密航者として渡米した新島襄であったが、初代の駐米公使となった森有礼(1847-1889)によって正式な留学生として認可された。 勝海舟(1823-1899)とも出会っている。】『歴史が教えにやって来る』を実感する日々である。

思えば 筆者の人生は、小さな村での少年時代の原風景、学生時代の読書遍歴は【内村鑑三・新渡戸稲造(1862-1933)・南原繁(1889-1974)・矢内原忠雄(1893-1961)】である。 【国手とは『国を医する名手の意』、名医また医師の敬称とあり、『医師は直接、間接に、国家の命運を担うと思うべし』とのことである。 医師の地上的使命と同時に『日本の傷を医す者』(矢内原忠雄: 1945年12月23日の講演)が蘇った。 1860年代遣米使節団(勝海舟らがいた)が、ニューヨークのブロードウエイを行進した。 彼らの行進を見物した詩人ウォルター・ホイットマン(Walter Whitman:1819–1892)は、印象を『考え深げな黙想と真摯な魂と輝く目』と表現している。 この風貌こそ、現代に求められる『学者の風貌』でなかろうか。『時代を動かすリーダーの清々しい胆力』としての『人間の知恵と洞察とともに、自由にして勇気ある行動』(南原繁著の「新渡戸稲造先生」より)】の文章が思い出される今日この頃である。

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