第48回『常に志を忘れない』 〜 『存在自体に価値がある』 〜
2025年2月12日は、自由学園初等部(教頭 稲村祐子先生の企画)での【映画会&特別授業】に赴いた(添付)。 小学生6年生と保護者が参加され ドキュメンタリー映画『がんと生きる言葉の処方箋』が上映された。 その後、筆者は講演の機会が与えられた。 生徒の多数の真摯な質問があり大いに感動した(下記)。 心が癒された。
■『寄り添う』と『支える』の違い: 困っている人と一緒に困る人になる
■チャウチャウ犬から学ぶ: 30分間(しゃべらなくても)一緒にいても、相手が苦痛にならない存在になる。 ほほえましい人物になる
■『チャウチャウ症候群』: ➀ チャウチャウ犬の風貌 ② 尺取虫運動 どんなときにも前に進める ③ 沈黙で寄り添える
■真理は円形にあらず、楕円形である『楕円形の心』
■『30m後ろから誰かを見ている人物になる』
■病気は人生の夏休み: 病気になったからできることがある
■『プロの為さざること5箇条 ~ 内村鑑三(1861-1930) 〜』
➀『プロは、その人を弱気に乗じて苦しめず』 ②『プロは、人に悪意を帰せず』 ③『プロは、人の劣情に訴えて事を為さず』 ④『プロは、友人の秘密を公けにせず』 ⑤『プロは、人と利を争わず』
■『最も必要なことは、常に志を忘れないよう心にかけて記憶することである 〜 新渡戸稲造(1862-1933) 〜』
■『涙とともに パンを食べた者でなければ 人生の味は分からない 〜 ゲーテ(1749-1832) 〜』
『小さなことに、大きな愛をこめる 〜 アルプスの少女ハイジ ヨハンナ・シュピリ(1827-1901) 〜』
■人間は個性と多様性: 存在自体に価値がある
早速、稲村祐子先生から『樋野興夫先生 本当に貴重な お話をありがとうございました。 子どもたちが、これからの人生の中で、きっと行き詰まるときや、悩むこと、また自分や家族が がんになることもあるかもしれません。そんなときに、今日の授業を思い出してくれたら嬉しいです。 また、今日のお話を通して、きっと自分のいのちの使い方について 考えてくれるのではないかと思っています。』との心温まるメールが送られてきた。 本当に、涙無くして語れない!
第47回 『一生の思い出』 〜 『愛情の原点』 〜
筆者は、2025年2月12日 自由学園初等部教頭 稲村祐子先生の企画【特別授業&映画会】に参上する(添付)。 筆者の故郷『島根県出雲市大社町鵜峠』は、無医村で小学校も中学校も廃校になった。 現在は人口34名、60%の空き家である。 母に背負われて、隣の村の診療所に行った体験が、脳裏に焼き付いている。
筆者の誕生の年(1954年)の母の元旦の夢が【富士山(3776m)】(添付)であり、幼児の時から『富士山子』と母に励まされたものである。 幼年時代のインプリンテイングは 生涯に影響を与える。 これが『愛情の原点』となろう!
自由学園は『羽仁もと子』(1873-1957)夫妻によて、1921年開設されている。『羽仁もと子』は、婦人之友社の創立者でもある。【日本初の女性新聞記者であった羽仁もと子は、夫の吉一と共に、近代化する日本に 自分たちが考える新しい社会を作りたいと願い、『よい家庭がよい社会をつくる』という信念のもと、1903年に月刊誌『家庭之友』(現『婦人之友』)を創刊しました。 羽仁夫妻は新時代の形成のために女性や子どもの教育を重視し、雑誌出版や関連する活動を通じて 女性や子どもの啓蒙活動に取り組んでいきました。 やがてその思いは『新しい学校』をつくる夢へと結ばれていきます。 機械的に知識を詰め込むだけで、ものごとの本質を教えていない教育に危機感を覚えた羽仁夫妻は、真に人間を重んじ育てる教育を希って、新しい学校『自由学園』をつくりました。―― 1932年に、世界新教育会議にて、自由学園を『それ自身一つの社会として生き成長し、そうして働きかけつつある学校』と―― 】とHPに紹介されている。
【神谷美恵子(1914-1979)の父、前田多門(1884-1962)が国際労働機関の政府代表として任命され、スイス、ジュネーブに転居。 ―― 1926 年秋、父の仕事の任務が終わり、日本に帰国。 ―― 帰国後に選んだ学校は自由学園でした。】とのメールが 京都在住の『神谷美恵子』研究者の田中真美先生から届いた。 前田多門の仲人は新渡戸稲造(1862-1933)であった。 前田多門は、内村鑑三(1861-1930) の主宰する『柏会』に属していた。 神谷美恵子が3歳の時に、新渡戸稲造は 膝に抱いてあやしている。 神谷美恵子は『一生の思い出であった』と語っている。 神谷美恵子は 43 歳でがんになり、生きがいを求めて『ハンセン氏病施設の長島愛生園』で精神科医として勤めた。 そして『生きがい』を出版した。 まさに『もしかすると この時のため』(エステル記4章14節)であろう!