一般社団法人がん哲学外来

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21世紀のがん哲学 樋野興夫
〜すこしの時間ご一緒しませんか?
ちょっと立ちどまり、一息つき、考えるときを持ち、歴史人に思いをはせる~

第68回 『具眼の士』 〜 『高度な専門知識』&『幅広い教養』&『複眼の思考』 〜

2025年5月15日 筆者は、東京女子大学の理事会・評議員会に出席した。 女子教育に 大いなる理解を示した新渡戸稲造(1862-1933)が初代学長(1918年)を務めた東京女子大学には、特別の想いがある。 新渡戸稲造は、1920年国際連盟事務次長に就任し、1923年 安井てつ(1870-1945)が2代学長を引き継いだ。『練られた品性と綽々たる余裕は 教育の真髄である』を痛感する日々である。ウィリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark:1826-1886)精神が、『内村鑑三(1861-1930) & 新渡戸稲造』へと繋がり、英文で書かれた『代表的日本人』(内村鑑三)&『武士道』(新渡戸稲造)は、若き日からの座右の書である(添付)。

2025年5月16日、病理医としての定例の病理組織診断業務を担当する。 顕微鏡を見て病気を診断する『丁寧な観察力の修練の場』である。 その後、南原繁研究会編集委員会(神保町駅)に赴く

南原繁(1899-1974)が東大総長時代の法学部と医学部の学生であった筆者の2人の恩師から、南原繁は『高度な専門知識と幅広い教養を兼ね備えている人物であり、視野狭窄にならず、複眼の思考を持ち、教養を深め、時代を読む 具眼の士』と南原繁の風貌、人となりを直接学んだ(添付)。 2004年にスタートした南原繁研究会【初代代表:鴨下重彦先生(1934 -2011)、東京大学名誉教授、国立国際医療センター名誉総長)、第2代代表:加藤節先生(成蹊大学名誉教授)】の3代目の代表を 2019年 南原繁生誕130周年を祝し、筆者は仰せつかった。

そして、武蔵野赤十字病院 (武蔵境駅)での、臨床研究倫理審査委員会に向かう。『人生邂逅は、非連続性の連続性で、人知・思いを超えて進展する = 人生の方からは期待されている存在 = その時、その人らしいものが発動してくる』を痛感する日々である(添付)。

第67回『雨ニモマケズ』 〜 寄り添う者になる 〜

2025年5月11日(母の日)、千代田区の番町教会で、午前中の礼拝『はじめに ことばありき』と午後の講演『慈愛に満ちた行動 〜 小さな事に忠実 〜』に招待された。(添付)

新渡戸稲造(1862-1933;盛岡)と同じ岩手県出身で、共に1933年に逝去している宮澤賢治(1896-1933;花巻)が話題になった。【『雨ニモマケズ』(宮澤賢治作): 雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ ―― 欲は無く決して瞋からず 何時も静かに笑っている ―― あらゆる事を自分を勘定に入れずに 良く見聞きし判りそして忘れず ―― 東に病気の子供あれば 行って看病してやり 西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を背負い 南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくても良いと言い 北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い ―― そういう者に 私はなりたい 】とある。 また、【寄り添う心とは何か】と【『がん哲学】の命名の理由』も質問された。

お寺の住職(医師)と対談した『苦しみを癒す「無頓着」のすすめ』(ブックマン社 2017年2月10日発行)が鮮明に想い出さました(添付)。【<はじめに>:私も今、いつか向かうべき天国でカフェを開くための、そんな機軸を確立させようとしているところです。 本書はそんな観点に立って、最後の瞬間まで気高くあるための生き方について、じっくり考えてみたいと思います。 『第3章:寄り添う心とは何か:相手を気遣っているのに、なぜ気持ちがすれ違うのか? じっくり聞いてあげること、本人に考えさせること』、『第4章:『がん哲学』は人間学である】と記述している。

『教会でも がん哲学外来を始めよう!』(2019年)(添付)に続いて、今年(6月)新刊『お寺でも がん哲学外来を始めよう!』が出版される予定であると語った。

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