一般社団法人がん哲学外来

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21世紀のがん哲学 樋野興夫
〜すこしの時間ご一緒しませんか?
ちょっと立ちどまり、一息つき、考えるときを持ち、歴史人に思いをはせる~

第74回 心温まるおもてなし 〜 継続的な成長の秘訣 〜

2025年6月16日 新渡戸稲造記念センターに赴いた。 その後、息子の友人、友人の兄弟、ご両親、息子夫妻、wifeと、友人のお父様のタイレストラン『マライ・ガイヤーン』(大泉学園駅)で夕食の時を持つた。 CAJ(クリスチャン・アカデミー・イン・ジャパン)の小学校校長を務めるwifeは、今度、CAJを定年退職する。今回は、大変有意義な充実した貴重な『wifeの定年退職の夕食会』ともなった。『花束をwifeにプレゼントした息子、友人達の心温まるおもてなし』は、大いに感動した。 息子、友人達は、CAJの高校卒業後、カナダのバンクーバーにある1908年創立された ブリティッシュコロンビア大学(The University of British Columbia:UBC)に入学、卒業している。

筆者は、2013年 『新渡戸稲造(1862-1933)没80周年記念』として、新渡戸稲造が国際連盟事務次長を務めたスイスのジュネーブでの国際会議の後、バンクーバーを訪れる機会が与えられた。 UBC大学の広大なキャンパスを在学中の息子に案内してもらい、キャンパス内にある新渡戸記念庭園(Nitobe Memorial Garden)にも訪れた(添付)。 1933年ビクトリアで客死した新渡戸稲造を記念したものである。翌日は、バンクーバーから約1時間30分フェリーに乗り、ビクトリアを訪れた。新渡戸稲造が亡くなったRoyal Jubilee病院を訪問した。 病院内には、『新渡戸稲造博士記念 日本庭園』がある!

『International Pacifist(国際的な平和主義者)=新渡戸稲造』を静思する時となった。 まさに、『歴史の重みと、継続的な成長の秘訣』は、『深い専門性』と『高い常識性』と『懸け橋』である。【『バンクーバーにあるBritish Columbia大学(UBC)と ビクトリアのRoyal Jubilee病院』の旅】は、人生の忘れ得ぬ良き想い出となった! また、いつか皆んなで、『バンクーバー & ビクトリアの旅』したいものである。

第73回 『言葉の処方箋の原点』 〜 読書歴の賜物 〜

最近、『言葉の処方箋の原点』について聞かれることが多い。 【若き日に学んだ『苦難をいかに生きるかに大きな感化を与えた 新渡戸稲造(1862-1933)の教え』である】と答える。 思えば、癌研時代、今は亡き原田明夫氏(1939-2017)検事総長(添付)との、2000年『新渡戸稲造 武士道100周年記念シンポ』は、私が『陣営の外に出る 大きな人生の邂逅』となった。さらに『新渡戸稲造生誕140年』(2002年)、『新渡戸稲造没後70年』(2003年)も一緒に企画する機会が与えられた。 順天堂大学に就任して、2004年に国連大学で『新渡戸稲造 5000円札さようならシンポ』を一緒に開催したのが 走馬灯のように駆け巡ってくる。

新渡戸稲造は、体調を崩してカリフォルニアに転地療養をすることになる。 このカリフォルニアでの療養中に書き上げ、刊行したのが『武士道』(添付)である。 当時36歳の保養中(1899年)の『武士道』(1900年発行)には、275名の人名が記述されている。【日本人 83名、イギリス人 60名、ドイツ人 21名、ギリシャ人 20名、ローマ人 19名、アメリカ人 18名、フランス人 16名、中国人 6名、その他 32名 】で あろうか! 驚きである。 これは、新渡戸稲造が札幌農学校の『学生時代の読書歴の賜物』であろう! 

第一次世界大戦(1914-1918)後、国際連盟設立に際して、初代事務次長に選任され、世界平和、国際協調のために力を尽くしている。 国際連盟事務次長時代(1920〜1926)の新渡戸稲造が設立したのが『知的協力委員会』である。 【世界の幸福を願い、世界中の叡智を集めて設立した『知的協力委員会』には哲学者のベルグソン(1859-1941)や物理学者のアインシュタイン(1879-1955)、キュリー夫人(1867-1934)らが委員として参加、第一次世界大戦後に困窮が著しかった各国の生活水準の調査や知的財産に関する国際条約案を検討し、各国の利害調整にあった。この『知的協力委員会』の後身がユネスコである。】

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