一般社団法人がん哲学外来

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21世紀のがん哲学 樋野興夫
〜すこしの時間ご一緒しませんか?
ちょっと立ちどまり、一息つき、考えるときを持ち、歴史人に思いをはせる~

第91回 『生きること、寄りそうこと』 〜 『人生の根幹を追求する』 〜

2025年9月12日筆者は、病理医として病理組織診断業務を担当した。【『病理学』は『形態』&『起源』&『進展』などを追求する学問分野である。『病理組織診断』は『風貌を診て、心まで読む = 人生の根幹を追求する』でもある。『顕微鏡観察』は『細胞の病理と人間社会の病理 = 生物学の法則+人間学の法則】である。『病理学者』が『がん哲学外来』を創設出来たのは ここにあろう! 筆者は、2008年1月順天堂大学の病院の診察室で、無料の『がん哲学外来』を始めた。 そして、病院外で『がん哲学外来・カフェ』を開始する機会が与えられた。

筆者は、アメリカ合衆国のペンシルベニア州のフィラデルフィア(Philadelphia)のFox Chase Cancer CenterのKnudson博士(1922-2016)の下で『遺伝性腫瘍』を学んだ(1989-1991)。 そして、『癌研究所所長:菅野晴夫(1925-2016)先生』に癌研究所実験病理部部長(1991-2004)に呼ばれ帰国した。 原田明夫(1939-2017)検事総長とは、2000年に『新渡戸稲造(1862-1933)武士道100周年記念シンポ』、さらに『新渡戸稲造生誕140年』(2002年)、『新渡戸稲造没後70年』(2003年)、順天堂大学教授に就任(2003年)し2004年には、国連大学で『新渡戸稲造 5000円札さようならシンポ』を企画したのが 走馬灯のように駆け巡って来た。

9月13日は【お茶の水メディカル・カフェ in お茶の水クリスチャン・センター(OCC)】に参上する。 4組(5人)の個人面談の予約もあるとのことである。 想えば、筆者は、『順天堂大学医学部 病理・腫瘍学教授』時代の 2012年5月26日にOCCでの第1回『お茶の水(OCC)メディカル・カフェ』に赴いたものである。東日本大震災の2011年に創設準備がなされ、2012年に当時OCC副理事長であった今は亡き榊原寛先生が『お茶の水(OCC)メディカル・カフェ』を始められた。開設記念は【精神科医であり金城学院学院長の柏木哲夫先生】による講演『生きること、寄りそうこと』で、会場は満席となった。

第90回『日々歴史からの学び』 〜 『和を以って貴となす』 〜

2025年9月8日『新渡戸稲造記念センター』より順天堂大学に向かった。 9月7日は甲府市総合市民会館での【第14回がん哲学外来メディカルカフェ『風林火團』】に出席した。『富士山(3776m)』(添付)を見つめながら、『あれが日本一の名物だ(富士山)あれより他に 自慢なものは何もない』(『三四郎』夏目漱石:1867-1916)が鮮明に思い出された。『山梨ホスピス協会』理事長 阿部文明先生(山梨県立中央病院緩和ケア科医師)が、甲府駅に車で迎えに来てくださり、会場に到着した。 筆者は、講演『言葉の処方箋』の機会が与えられた。

早速、山梨英和中学校・高等学校校長を務められた岩間孝吉先生から【がん哲学外来メディカルカフェ in 甲府・風林火團でのご講演のため、お忙しいところを、貴重な時間を割いて、お出かけ下さり、感謝いたします。 参加者一同、樋野先生のご講演を楽しみに集ってまいりました。『病気であっても病人ではない。 病気は一つの個性である。』 患者・家族と医療者を繋ぐ尊いお働きのメッセージの数々、心して聞くことが出来ました。】と心温まる励ましのメールを頂いた。

以前にも【1929年山梨英和女学校創立40周年記念会での、新渡戸稲造(1862-1933)の講演『和を以って貴となす』の記事(1930年5月25日刊山梨英和女学校の『同窓会誌』)、山梨英和学院 1989年5月27日発行の『山梨英和100年』のコピー、新渡戸稲造と『NHK「花子とアン」で知られる「山梨英和女学校の英語教師であった村岡花子」の写真』】が送られてきた。 また、【1901年山梨県立甲府中学校 (現在の甲府第一高校) 第5代校長として大島正健(1859-1938)が着任すると、内村鑑三(1861-1930)と共に新渡戸稲造が、甲府を訪ねているようです。 1906年山梨英和女学校の評議員に大島正健が就任すると、新渡戸稲造は、1909年山梨英和女学校卒業式で祝辞、1916年卒業式で講演、1929年山梨英和40周年記念講演で3回訪ねております。】と教えて頂いた。 『日々歴史からの学び』である。

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