一般社団法人がん哲学外来

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21世紀のがん哲学 樋野興夫
〜すこしの時間ご一緒しませんか?
ちょっと立ちどまり、一息つき、考えるときを持ち、歴史人に思いをはせる~

第44回 顔を合わせて 話し合う 〜 『がん哲学外来』 〜

2025年1月18日 新幹線で 神戸での講演【がん哲学外来第1回 Being Café 思いを語る場(野本亮一代表)】(救世軍神戸小隊:キリスト教会)に赴いた。 今年(2025年)は【阪神・淡路大震災(1995年1月17日5時46分52秒に発生した兵庫県南部地震により引き起こされた災害)、地下鉄サリン事件(1995年3月20日に日本の東京都で発生した同時多発テロ事件)】から30年が経つ。

新幹線の車内から『雪の富士山』を眺めた。『富士山』には特別な思いがある。 筆者が『富士山子』と言われるようになった由縁は、【96歳で亡くなった筆者の母(樋野壽子:1923年2月20日 〜 2019年6月3日)の、筆者の誕生の年(1954年)の元旦の夢が『富士山(3776m)』であり、筆者は、幼児の時から『富士山子』と母に励まされた】ものである。 まさに、『幼年時代のインプリンテイングは生涯に影響を与える』=『教育の原点』である!(添付)

そもそも筆者の名前は、息子を先の戦争でなくした祖父の樋野卓郎(1888-1972)が、家を継いだ末娘(母)の3人の子供(誉・誠・興夫)の末っ子の長男:筆者に『家を興す』の願いを込めて名付けたと、祖父の膝に抱かれて聞かされた幼年時代の想い出が鮮明に脳裏に蘇る。『興』は『国を興す 産業を興す 振興 興起 興隆 再興 復興』

そして、『われ Origin of fire:樋野興夫(ひの おきお=火のおきを!):たらん』(to be 出版 2005年)の発行が実現したものである。 筆者の故郷(島根県出雲市大社町鵜峠;添付)は、現在では、人口34名、空き家60%であり(添付)、 人間との会話(『臨床医』)ではなく、細胞との対話(『病理医』)を選んだものである。

1月19日(日)は、KBF(Kurume Bible Fellowship) in the CAJ(Christian Academy in Japan)に、CAJの小学校の校長を務めるWifeと出席した。『間もなくあなたに会いたいと思います。 そして顔を合わせて 話し合いましょう。』(ヨハネの手紙第3  14節) の復学の時となった。 これが、今の『がん哲学 & がん哲学外来』に繋がったものである。

落合川で泳ぐ鴨と鯉を観ながら帰宅した。

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