第94回 『生物学と人間学の懸け橋』 〜 『21世紀のクラーク精神の病理学』 〜
筆者は、2025年9月25日 〜 27日 名誉会員として『第84回日本癌学会学術総会〜 未来への希望と共に、つながるがん研究 〜』(大会長:大島正伸 金沢大学がん推進制御研究所 腫瘍遺伝学研究分野 教授)(石川県立音楽堂、ホテル日航金沢、ANAクラウンプラザホテル金沢 他)に出席した。 韓国、中国からも女性医療者が参加され、筆者の著書の韓国版(添付)、中国版(添付)をアマゾンで購入
されたいようである。 大いに感動した。
大島正伸先生の今は亡きお父様(大島智夫先生)が、2003年 お茶の水の東京ガーデンパレスで、筆者の順天堂大学教授就任を兼ねての【『われ21世紀の新渡戸とならん』(イーグレープ)出版記念シンポジウム」】(添付)に、出席されたことが鮮明に蘇ってきた。 神奈川県海老名市の大島智夫先生のご自宅でのクリスマスの会食に毎年 wifeと招待されたことが、忘れ得ぬ想い出である。
ウィリアム・クラーク(1826-1886)の【『Be gentleman』&『Boys, be ambitious !』】は、札幌農学校(現在の北海道大学)を率いたウィリアム・クラークが、『その地を去るに臨んで、馬上から学生に向かって叫んだ言葉』と大島智夫先生から伺ったものである。 クラークの英語を『少年よ大志を抱け』と訳されたのが教育者・曽祖父(大島正健 札幌農学校1期生)とのことである。
今回の第84回日本癌学会学術では、『共生と共存の違い』&『会話と対話の違い』&『生物学と人間学の懸け橋』の学びとなった。 来年(2026年4月16日〜18日は、札幌で【『第115回日本病理学会(会長田中伸哉 北海道大学大学院医学研究院腫瘍病理学教室 教授)のテーマ『Pathologists, be ambitious! 病理医よ 大志を抱け』】が開催される。 筆者は、田中伸哉先生から講演を依頼された。まさに、『21世紀のクラーク精神の病理学』の時代的要請を痛感する。
第93回 『いい覚悟で生きる』 〜 明確になるのは、人生の良き邂逅 〜
2025年9月21 亀有メディカルカフェの主催者:小暮信子氏より、メールが届いた。【先日9月18日 第19回亀有メディカルカフェを開催いたしました。今回のことばの処方箋は、『天寿がん』でいきましょう(『いい覚悟で生きる』2014年11月3日小学館発行)(添付)でした。— 手紙が寄せられましたのでご報告致します。《『天寿がん』でいきましょう》に寄せて…94歳、最期の日。 それが “9月5日”のことでした。(がん患者 遺族)】 大いに感動した。 涙無くして語れない。
想えば、筆者は、医学部を卒業して、癌研で研究をスタートした。 豊島区の大塚にあった癌研病理部での研修研究員時代、当時の病理部長:北川知行先生と所長:菅野晴夫先生(1925−2016)であった。
北川知行先生(がん研究所名誉所長)は『天寿がん』の創始者でもあり【1968年、98歳の男性の特志解剖を行った(東大では自ら希望して病理解剖が行われる場合を特志解剖と呼んでいた)。 この方は 生来ずっと健康で医者にかかったことがなく、この年まで頭脳明晰で体もよく動いていた。亡くなる3か月前から食が細くなり、次第に衰弱して、本人も家族も”大往生”と喜ぶ中で安らかに亡くなったのである。亡くなる前にこの方は、往診の医師に『自分の体には健康長寿の秘訣が宿っていると思うので、死後、大学に運んで解剖し、それを明らかにして医学の進歩に役立ててほしい』と遺言した。 解剖すると、胃の幽門部と噴門部にそれぞれ10cm大の胃がんがあった。噴門部のがんによる食道出口の狭窄が死因であった。この時、『こんな死に方なら、がんで死ぬのも悪くないな』と強く思った。 この方は、”天寿がん”第1号となり大きく世の中に貢献をしたのであって、常に本名を記してその名誉を讃えている。】と教わったものである。
『何が重要なのかが明確になるのは、人生の良き邂逅である』の復学となった!