第28回 『人生の眼』 〜 『広い視野 と 認識』 〜
2024年10月29日 国立ハンセン病療養所長島愛生園(岡山県)での『長島愛生園の医師であった神谷美恵子(1914-1979)記念がん哲学カフェ;愛カフェ』12周年に赴いた。 神谷美恵子は、前田多門(1884-1962)の娘で、前田多門は、内村鑑三(1861-1930)の主宰する「柏会」に属していた。 新渡戸稲造(1862-1933)は、神谷美恵子の両親の仲人でもあった。【『新渡戸稲造が『幼い 神谷美恵子』を膝に抱いてあやしている姿】が 今回、鮮明に蘇って来た。『新渡戸稲造・内村鑑三―>前田多門―>神谷美恵子』の流れである。
今回、東京から『神谷美恵子記念 がん哲学カフェ』に参加された方から『桃太郎』の像が送られて来た(添付)。『鬼ケ島遠征の物語』は、私は、子供時代、村のお寺の紙芝居でよく聞かされたものである。【桃太郎の器量と胆力:『桃太郎』が『犬・雉・猿』という性質の違った(世にいう犬猿の仲)伴をまとめあげたことを挙げ、世に処する人は『性質の異なった者を容れるだけの雅量』をもたなければならない と 新渡戸稲造は『世渡りの道』(1912年)で述べている。 とかく、競争の名の下に、実は個人感情で排斥をする自称リーダーヘの警鐘でもある。 ーー 激しく移り変わる混沌とした世界の中で『広い視野』と『確固とした現実認識』と『深遠な歴史意識』をもち、『なすべきことをなしたい』ものである。】《『われ21世紀の新渡戸とならん』(添付)》
ヘレン・アダムス・ケラー(Helen Adams Keller、1880-1968)は、3重苦(聴力、視力、言葉を失う)を背負いながらも、世界各地を歴訪し教育・福祉に尽くした。『ヘレン・ケラーは、2歳の時に高熱にかかり、聴力、視力、言葉を失い、話すことさえ出来なくなった。 両親から躾けを受けることの出来ない状態となり、家庭教師として派遣されてきたのが、当時20歳のアン・サリヴァン(1866 -1936)であった。
ヘレン・ケラーとサリヴァンの半生は『The Miracle Worker』(日本語『奇跡の人』)として映画化されている。 【英語の『「The Miracle Worker」には(何かに対して働きかけて奇跡を起こす人)といった意味があり、本来はサリヴァンのことを指す』とのことである。 ヘレン・ケラーが『人生の眼』を開かれたのは『いのちの言葉』との出会いである。 学びは、『I am only one, but still I am one. I cannot do everything, but still I can do something; And because I cannot do everything I will not refuse to do the something that I can do.『私は一人の人間に過ぎないが、一人の人間ではある。何もかもできるわけではないが、何かはできる。だから、何もかもはできなくても、できることをできないと拒みはしない』(ヘレン・ケラー)であった。】 まさに、自分の『役割と使命』の遂行である。
新渡戸稲造の下記の言葉の復学の日々である。
1) 間断なき努力は進歩の要件
2) 自分の力が人に役に立つと思うときは進んでやれ
3) 心がけにより 逆境も 順境とされる